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2011年4月

2011年4月28日 (木)

デンパサール・ムーン ( Denpasar Moon ) をもう一回はやらそう!

デンパサール・ムーン ( Denpasar Moon )という曲知ってますか? この曲が最初にブレイクしたころインドネシアにいました。ワタシにとってはバリ島のテーマソングともいうべき曲です。なかなかイイ曲だと思うので、良かったら聴いてみて下さい。

イギリスのプログレ・バンド、キャメル (Camel) のメンバーだったコリン・バース (Colin Bass) が1991年にインドネシアへ渡り、サバ・ハバス・ムスタファ (Sabah Habas Mustapha) の名前で1993年にリリースした曲です。
同年フィリピン人歌手のマリベス (Maribeth) がカバーして大ヒットしました。 その後40人以上のインドネシア人アーティストにカバーされて、オリジナルの英語以外にインドネシア語、ジャワ語、スンダ語、バリ語などのバージョンも作られています。
サバ・ハバス・ムスタファのオリジナル版は2004年に再リリースされました。

キャメルを知ってる人、もう少ないだろうなぁ.....。

Denpasar Moon Original Version - Sabah Habas Mustapha


Denpasar moon, shining on an empty street
I returned to the place we used to meet
Denpasar moon, shine your light and let me see
That my love is still waiting there for me

I saw you standing there
Through the rain I saw you turn and smile
Were you waving to me
Through the rain I ran across the street.

But you were gone, there was no one
You had vanished with my dreams.

Denpasar moon, shining on an empty street
I returned to the place we used to meet
Denpasar moon, shine you light and let me see
That my love is still waiting there for me

But you were gone, there was no one
You were gone, flying homeward
You were gone, there was no one
You had vanished with my dreams

Denpasar moon, shining on an empty street
I returned to the place we used to meet
Denpasar moon, shine your light and let me see
That my love is still waiting there for me
That my love is still waiting there for me

Denpasar moon...

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2011年4月25日 (月)

バリ島のキャンプ場 - Tempat Kamp di pulau Bali -

バリ島に行ってもオートキャンプがしたいと思って、テントやIGTなど引越コンテナに入れました。

バリ島のオートキャンプ場を調べてみました。もちろん "Auto Camp Bali" なんてググっても出てくるはずありません。

インドネシアにオートキャンプ場なんて概念がありませんから。

Flickr!でオートキャンプしてるっぽい写真を発見しました。ブヤン湖のほとりのようです。

「ブヤン湖畔のキャンプ場と思われる写真」

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Buyan5

Buyanlakecamparea600x449

タンブリンガン湖にもあるようですが、写真は発見できませんでした。

また、バトゥール湖畔にもキャンプ場があるようです。

「バトゥール湖畔のキャンプ場と思われる写真」

Batur1

Batur2

水場、トイレなどどうなってるのかはわかりません。標高が高いので寒いかも?近いうちに行って見てレポートします。

もちろんアグン山中とか、ジャングルの中とか、どこでもキャンプは出来るでしょうが、野生動物の危険や、霊的な危険?はあるかも?

おとなりのプトゥさんは山岳ガイドもしているそうで、いずれそういう野性的なとこを案内して頂きたいと思います。

「アグン山岳サイクリングと題された写真」

Abangcycling

こんなことできたらいいなぁ。

海外のキャンパーの皆様、写真無断転載してごめんなさい。

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2011年4月21日 (木)

Rumah Kita

Tgl.16 Apr.2011 barang2 semua diambir. Rumahnya kosong....

Tgl.20 Apr.2011 kasi kunci pada properti agent.....

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Selamat tinggal rumah kita, rumah yang Rei-kun lahir.

Terima kasih banyak rumah kita, banyak kenangan baik.

Kita pasti tidak lupa sampai mati....


Tgl.21 Apr.2011 Malan Mama dan Rei-kun berangkat....

Saya saja masi tinggal di Tokyo.

EOS5D EF17-35mm F2.8L USM


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2011年4月18日 (月)

His last ride in Rinshi-no-Mori

16 Apr. 2011 06:45 いつものように「林試の森」を走り回りました。
本人は格段の感慨は持っていませんが、これが彼のとって「林試の森」を走る最後です。
ヘルメットはもう梱包してしまったので、ノーヘルです。

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彼のとって「林試の森」がいつまでも良い思い出であり続けますように...。
彼が大人になってもまだ「林試の森」がありますように...。
ワタシにとって「駒沢公園」が幼稚園のころからの思い出が残る場所であるように...。

EOS50D EFS18-55 F3.5-5.6 IS




お詫びとお願い

2011年3月11日から1年半の間、ブログを公開することで、結果的に関東甲信越・南東北でのアウトドア活動を奨励していたことを反省して、お詫びするとともに、ここにたどり着かれた方々にあらためて「お願い」をする次第です。

◎ 低線量長期被曝の子供たちへの影響と、関東甲信越・南東北の本当の汚染状況に関してご自身で情報収集して下さい。

◎ チェルノブイリから数十Km離れた避難地域で事故からすでに四半世紀経過した今おこっていることを直視して下さい。

◎ 子供たちの将来の健康をなによりも優先にして下さい。


これは2011年3月11日以前の楽しかった我が家のアウトドア活動の記録です。ワタシはRei-kunが大人になるまで、関東甲信越・南東北でのアウトドア活動を行いません。

できましたら こちら にも目を通して頂ければ幸いです。
2012年8月末日
romo


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2011年4月14日 (木)

Renovasi Rumah 1 - 住宅リフォームの記録 1

義妹が"トアット棟梁と11人の職人達"の働きぶりをブラックベリーで撮って送ってきます。 便利な世の中になったものだ。

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デフォルト状態。以前にromoが撮影

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工事開始後2週間。これもromoがEOS5Dで撮影。

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トアット棟梁の勇姿

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工事開始から4週間目、マシンを導入したようだ。これ以降は義妹がブラックベリーで撮影。

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工事開始から6週間目

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すでに、図面では3m張出す予定だった2階のバルコニー、棟梁は2mしか出せないと言ってます。
この写真で見る限りバルコニーへの引き戸の幅が狭すぎる!!とか、問題出てます。

ホントにイメージ通りにできるのかなぁ?



Renovasi Rumah 2 - 住宅リフォームの記録 2
に続く

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2011年4月 6日 (水)

Batu Muntilan -ムンティランの岩-

昨年のムラピの噴火で沢山の火山灰が積もり、川が堰き止められたり、浅くなってしまった箇所が沢山あります。

日本では噴火が終息したあと、ほとんど報道されませんが、Mamaの実家があるマグランから南へ10キロほどのムンティランという街は、噴火のあと数ヶ月を経て、なお度重なる土石流に襲われています。

ここにジョグジャからマグランを経てスマランへ至る(中央ジャワの南北を結ぶ)幹線道路が通っているので、雨のあと土石流の危険がある場合は度々通行止めとなり、大きく迂回させれています。

今年に入って期せずして3度もマグランへ行っているのですが、数回のマグラン~ジョグジャの道程で、すでに2度この迂回の憂き目にあっております。結果、ジョグジャまでの所要時間は1.5~2倍となります。

先日マグランからジョグジャへ行く途中、幸い通行止めはなく、ムンティランの被災現場を通過した際、運転していた義妹がクルマを止め、

「この岩をどけようとしたら、重機が折れたの。いろいろやったけど、誰も動かせない。この岩は雨でもないのに濡れるんだって。犠牲者の涙のように。」

といって、この岩を指さしました。

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良くないものが乗せてありました。

今月に入って、ついに土石流で橋が破壊され、ジョグジャ~スマランの幹線道路は完全に寸断されてしまいました。ジョグジャからボロブドゥールへの観光にも影響します。犠牲者の方々のご冥福を祈るとともに、一刻も早い復旧を切に望みます。

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2011年4月 4日 (月)

2011年3月の記憶

3月6日

NRT-DPS
ニュピ翌日。Mama、バリの家のリフォーム打ち合わせの為、バリへ行く。

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実家で何度も頼んだことがある、なじみのトアット棟梁を中心にジャワから職人を連れて行って施工する計画です。4ヶ月の工期の間、義妹のWiwinが近隣のコスに住んで、進行管理を行う計画です。
Mamaの滞在は1週間の予定。

3月7日 Wiwin(義妹)自分の車で陸路バリに到着。ジャワの"トアット棟梁と11人の職人達"、バスでバリに到着。

早速、一階内部の解体に着手。砂、石、セメントなど資材屋を探して購入。

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3月8日

DPS-JOG x2
義母重篤の連絡あり。工事は棟梁にまかせて、MamaとWiwinはマグランへ。




3月9日 義母はICUいたが、まだ会話は可能。

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3月11日

JOG-DPS
容態が安定したので、Wiwinはマグランに残り、Mamaだけはバリへ。資材店、プール施工業者などと打ち合わせ。
すでにプール発注の経験をお持ちのちょいバリ親父殿にいろいろサポートして頂く。

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同日、日本では大地震発生。東京にいたromoは帰宅に6時間かかりました。

3月13日

DPS-JOG
Mamaは0:55のGAで帰国予定でしたが、ボーディングブリッジで義母逝去の連絡をうけて、帰国便をキャンセル。
急遽マグランへ戻る。

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3月14日 マグランでは義母の葬儀、埋葬。ジャワでは即日埋葬して、その後7日目まで毎晩法要があります。
romoは取り急ぎチケットを手配。17日のGAをゲット。

3月17日

NRT-DPS-JOG x2
romo & Rei-kun マグランへ。早速法要に参列。200人くらいの方がみえる。

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3月17日 墓参と葬儀。来る人、来る人に「日本は大丈夫か?」って訊かれる。
たぶん100人くらいに「東京と仙台は500Kmくらい離れてる」って説明する。

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3月19日 所用でジョグジャへ行く、ジョグジャで入院中の義叔父(義母の弟)見舞う。

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この義叔父は以前のエントリーでも登場してます。

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7日目の法要では夕食を振る舞う。大量の食事の準備

3月20日 初七日までの毎晩の法要が終わり、子供達と釣り堀へ行く。

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3月21日 銀行関係の所用を済ませる。

3月22日

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Mama,Wiwin,romo & Rei-kunジョグジャで義叔父見舞ってから最終のGAでバリへ行く。

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アディスティプトのラウンジでバリの家の2軒となりのヴィラが火事!とのSMSを受信!!!
"トアット棟梁と11人の職人達"が大活躍して、2階のテラス部が焼失しただけで鎮火。
同ヴィラ住人のフランス人爺さまと犬のモジョは無事でした。

3月23日 棟梁と打ち合わせ。鉄筋や木材購入。Wiwinがコスでの生活に必要なものを購入。

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夕方にRei-kun発熱、38.5度。遊びすぎ過労か。

3月24日

DPS-JOG x2
未明に義叔父逝去。Mamaとromoで空港へ行って今日の便を探す。
結局最終しか買えず。時間があったので、ちょいバリ親父殿のお宅を訪問。
WiwinにRei-kunをまかせて、最終のGAでMama & romoはジョグジャへ、

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空港からはダムリでマグランへ、23:30に義叔父宅へ葬儀に参加。

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遺影はワタシが以前撮った写真だった。

3月25日

JOG-DPS x2
05:00のダムリでマグランを出発してバリヘ。ほとんどヘトヘト。
Rei-kunは熱下がる。

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工事が進捗していてほっとする。

3月26日 それでも資材屋、プール屋と打ち合わせ後、Mamaはノタリスと会う。Wiwin、romo、Rei-kunは30分だけゲゲル・ビーチへ。夕方からパッキング。

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お隣のプトゥさん一家とジンバランでサンセット・ディナーしてから、23時には空港へ。

3月27日

DPS-NRT x3
Wiwinに空港まで送ってもらい、0:55のGAでMama、romo、Rei-kunは日本へ。
施工管理よろしくね。
日本は寒かった。
ガルーダの経営にかなり貢献した3月だった。

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