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2011年1月

2011年1月31日 (月)

ラサ・サーヤン・ビーチ・イン  ( Rasa Sayang Beach Inn )

いつもお世話になっているムダナさんが経営しているロスメンを紹介します。

あんまり宣伝してないし、ガイドブックにも載ってないけど、ちゃんとエアコン付き、お湯シャワー付きのロスメンです。

グランド・ミラージュのちょっと先、ノボテルのちょっと手前の、ヌサドゥア側から見て左側です。

空港送迎やレンタカー、レンタバイクの手配、マリンスポーツやガイドの手配もできます。

かんばんです。
プラタマ通りから見たところ。
小さなロビーです。
フロントです。
1階です。
部屋を前から見たところです。
部屋の内部です。ダブルベッドです。
水回りです。お湯シャワーです。バスタブは無いです。
部屋の中から外側を見たところ。
2階へ上がる階段。バイクがけっこう駐車できます。
1階奧側の部屋です。
屋上にはバレがあります。

名前Rasa Sayang Beach Inn (ラサ・サーヤン・ビーチ・イン)
住所JL.Pratama 88X, Tanjung Benoa - Nusa Dua - Bali - Indonesia
位置S8 45.935 E115 13.304
電話+62-361-77-1643 (英語かインドネシア語で)
FAX+62-361-77-7268 (英語かインドネシア語で)
E-mailrsbind@yahoo.com (英語かインドネシア語で)
設備エアコン・温水シャワー・テレビ
料金通常 Rp.250,000 繁忙期 Rp.350,000

インターネットで一部もっと安い値段で出てるところがありますが、それは以前の価格で、今は上記の値段だそうです。

日本語できるスタッフはいません。

ラサ・サーヤン・ビーチ・インに宿泊を検討されている方で、英語もインドネシア語に自信が無い方はワタシにご連絡下さい。ご希望をムダナさんにお伝えします。

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2011年1月27日 (木)

緊急帰国その3

1月11日

朝から義父宅にラジエター屋さんが来て、昨日オーバーヒーしたボルボのラジエターを修理。
治り次第、レスティアの祖母=[義長姉の亡夫の母]の葬儀でクトゥアルジョへ行こうという話。
でも誰が運転するの?
昨日[義長姉の長男]アアンと[義長姉の次男]ティントンはジャカルタに帰ってしっまったし、
[義長姉の三男]オフィはすでにクトゥアルジョへ行ってます。

「お。。。俺?!。。。。道わかんないし。。。。。」

強制的に運転手はワタシってことになりました。

道はうろ覚えでしたが、1時間半ほどで何とか迷わずにクトゥアルジョ到着。
葬儀は盛大でした。出棺を見届けたところで帰ってきました。
この日の写真は無し。疲労困憊。


1月12日

翌日はワタシだけ朝一の便でジョグジャからジャカルタへ行きました。
ムンティランの土石流によって、ジョグジャとスマランを結ぶ街道「JLマグラン」が不通になってしまったので、
ボロブドゥールの方を大回りしてジョグジャへ向かいました。普段の1.5倍かかります。

スカルノ・ハッタ空港には[義長姉の長男]アアンと[その妻]ユルファと[その長女]ピアが迎えに来てました。

そしてホテルへ向かったのですが。。。。。。。、高速道路上で、なんとガス欠!!。

幸い高速道路会社のレッカー車がすぐに通りかかり、引っ張り出してもらいました。
スマンギの出口のそばでバイク用にボトルでガソリン売ってる兄ちゃんにありったけ売ってもらって、
ダイハツ・ゼニアはようやく息を吹き返すことができたのでした。

レッカーのおっちゃんありがとう。お金タダでした。

また737-900。これ乗ってジョグジャからジャカルタへ。
甥の子。ピア。
アアンとユルファ。アアンのお仕事は陸軍将校です。
ななんと!バジャイの新車が!。
今回泊まった「グランドクマン」ホテル。
Mamaの友達が勤めているので、一人なのに広い部屋へ入れてくれました。
ロビーです。
少しづつ変わるジャカルタ。プルタミナ以外のスタンドも増えてきています。
セブン・イレブンも出来てました。

1月13日

今日はアアンは仕事なので、運転手を頼んでもらって、朝の9時からジャカルタ縦横無尽。
クマン~マンガドゥア~チランダック~ポンドックインダ~クマンへ戻る。

15:30にホテルをチェックアウトして、17:00にはスカルノ・ハッタへ送り届けてもらいました。
デンパサール行きにライオン・エアにチェックイン。
18:25にボーディングの予定だったのですが、19:00になっても飛行機が来ない。
20:00になってようやく弁当はでる。が、出発の見込みたたず。
結局バスで違うゲートへ移動させられて、飛行機に乗ったのは21:30!!!
デンパサール到着は24:00でした。トホホ。

デンパサールでは、22:30にジョグジャから到着して、待ちくたびれたRei-kunとMamaがお出迎え。
タクシーでヌサドゥアの家へ。家に着いて、エアコンつけて、温水器つけたら、ブレイカーがバチン!

漏電遮断機のヒューズみたいなヤツが壊れて、用交換!!深夜1時に開いてる電器屋などあるはずもなく。
もしあっても買いに行く足 (クルマも バイクも) がなく。。。。。。

Rei-kunとMamaはすぐに爆睡でしたが、ワタシ全然眠れず。暑いので戸を開けたら、ニャムック襲来。
しょうがないので、徒歩でプラタマ通りのウラム・レストランの先のミニマート (旧サークルK) まで行き、
[蚊取り線香]と[ろうそく]と[ライター]と[かゆみ止め]と[ビル・ビンタン]を買ってくる。


1月14日

ワタシはまんじりともせずに朝を迎え、元気なその他2名とともに歩いて北ゲート脇のジャワ料理のワルンへ
朝メシを食べに行きました。

このワルンの男の子がRei-kunより1つ年上。ノートパソコンにインストールされた[スーパーマリオ]で遊んでる。
すぐに仲良くなって、[スーパーマリオ]やらせてもらって大満足のRei-kun。

9時頃にこの家の初代オーナーでありロスメン[ラサ・サーヤン・ビーチ・イン]のオーナーであるムダナさんに来てもらい、
いっしょに電器屋へ。問題の部品はRp.150,000のとRp15,000のとあるけど、どっちにするって言われて、
10倍違うの?っておもったけど、安心が欲しかったので高い方を買いました。
家へ戻って、無事修復完了。電気があるありがたさが身にしみました。

午前中はムダナさんに甘えてあっちこっち送ってもらい、夕方からスズキ・カリムーンを借りる。
新型カリムーン、24時間でRp.170,000なり。晩メシはクタのディスカバリー行きました。

この日の昼食ピザハット。マックがいいのに~。(Rei-kun)
ムダナさんとRei-kun
いきなり夕食。ディスカバリー・モールにて。
きわめて上品なナシ・チャンプール。
いっつも飲みきれないクラパ・ムダッ。二人で一個にすればよかった。

1月15日

今晩っていうか明日早朝帰ります。

のんびり9時頃まで寝て、昨日ムダナさんに「タンジュン・ベノアのパブリック・ビーチは?」って訊いたら、
クラブメッド横のクンディ・クニン・レストランがある「スリランカ・ビーチ」があるよって教えてもらったのでさっそく。
ウラム・レストランの前の路地を入って行くので、全く徒歩圏ですが、雨降ってきたのでクルマで行きました。
魚釣りやってるお兄さんがいて、Rei-kun「ぼくもやる~!!」ちょっとまねごとだけさせてもらいました。
すこし沖ではジェットスキーやバナナボート。シーウォーカーのボートも来てます。

バイパス・ングラライのマックで朝兼昼ご飯たべて、ハーディーズでお買い物。お土産用にマンゴー10個。

そのあとバリ・コレクションへ、(ワタシたちは未だに「ガレリア」って云ってますが) Mamaはさらにお土産を物色。
ちょっと休憩してからバリ・コレクション横(先)のパブリック・ビーチへ行きました。

夜はジンバランでサンセットディナーって計画してたんですが、あいにく雨だったので、
ウラム・レストラン変更。ムダナさんご一家とお隣のプトゥさんご一家をお誘いしてみんなで食べました。
Rei-kunはプトゥさんに魚釣りへ連れて行ってもらう約束をしてました。

最後の最後にインドネシアに来て以来、いちばん穏やか1日を過ごせました。

ムダナさんは「スリランカ・ビーチ」と呼ぶこの海岸。あとでネットで見たら「クンディ・ビーチ」だって。どっちがホント?
あいにくの天気でした。雨期だから。
なにがつれるのかな。
やらせて下さい。
巻いて巻いて!
サヨリみたいな魚だけど緑色。
バリ・コレクションへ。
Mamaは買い物。僕たちカフェで。
バリ・コレクション近くのパブリック・ビーチ。
ここでは釣りはできないの?
クタと違って物売りやミチュアミおばさんはいません。
地元の人たちも来てます。ここの名前はヌサドゥア・ビーチでいいのかなぁ?
ウラムにて。プトゥさんの奥様は元バリ・ウィス・スパのエステシャン。今は子育てで休業中。ムダナさんの奥様はとてもきれいな方でした。
みなさん今後ともお世話になります。よろしくお願いします。


1月16日

24:30にプトゥさんに送って頂いてングラライへ。
デンパサール~台北は寝るだけ。
台北~成田の機材はA330でプライベートTVでゲームが出来て、Rei-kun大満足
13:30に成田着。成田雪ふったんだって?! 帰宅は16:00でした。おつかれさま。

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2011年1月24日 (月)

緊急帰国その2

1月8日

アディスチプト空港には2番目の[姉]ヌヌンと、葬儀でジャカルタから来ていた[長姉の長男のヨメ]ユルファが迎えに来てました。

ユルファが運転してダイハツ・ゼニアに乗って、まずは腹ごしらえ、7時から開いてるのはどこだってことで、
ナシ・グデッグのお店へ行きました。(S7,48.25 E110,22.00)

そのあとマリオボロのガルーダ・ホテルの中の銀行で両替。8時でしたが、すでに開いててよかった。

マリオボロでユルファが子供達の着替えなど調達し、10時過ぎにようやくマグランへ向けて出発。

途中のムンティラン周辺では悲惨な光景を目撃することとなりました。

日本では初七日っていうと七日目に催すだけですが、ここでは亡くなった日から七日目まで、毎晩友人や近所の方が来てお祈りをします。

そして、夕食を振る舞います。

ヌヌン、Mama、Rei、ユルファ
朝食はナシ・グデッグ
ジョグジャからマグランへ向かう途中のムンティランの町の惨状
路肩には灰がうずたかく
土石流につぶされた家
マグランの実家にて、ユルファの子供、レンザとピア
実家に住み着いている片目の猫。小さい体ですが、二児の母です。
亡くなった日から七日間は毎晩お祈りがあります。
毎晩夕食を振る舞うのですが、こんばんはケータリングを頼みました。

1月9日

この日は[義長姉の長男]アアン(亡くなったレスティアの兄)の運転で、レスティアのお墓へ行きました。
彼女の父方の実家の近くです。父方の実家はクトゥアルジョという町。マグランからはクルマで1時間半ほどかかります。

レスティアの父方の実家はお金持ちらしく、墓所の一角に塀で囲まれた一族だけの墓所がありました。
最近作ったそうで、広い敷地の中に、まだレスティアのお墓と[姪の叔父]=[義姉の亡夫の弟]の墓だけ。
「はやくお父さん(姪の)のお墓を移してあげないと寂しいね。」

MamaとRei-kunは泣きながら日本語で「千の風」歌ってました。みんなわかんないんだけど。

マグランにもどると昨晩、お祈りに来てくれた義父の旧宅の近所の方がぜんそくの発作で亡くなったとの知らせ。
Mamaと義姉たちはあすの埋葬に立ち会うそうです。ワタシは面識のない方なので遠慮させて頂きました。

この晩も近所の方々お祈りにきます。夕食にはサテとロントンを振る舞いました。

義父宅から徒歩10分くらいのところに義父の旧宅があります。
向かいには義叔母[義父の妹]のティティが住んでいます。元幼稚園の園長。
しずかな路地裏の朝。
Mama達姉妹が育った家。みんなMamaの顔見知りです。
期せずして朝から同窓会。
徒歩で義父宅へ向かいます。
マグラン駅跡。昔はジョグジャからスマランまで機関車が走っていました。
マグランから姪の墓がある彼女の父方の実家の町クトゥアルジョへ。町の中心から墓所までは馬車で。
独身女性の場合は、サトウキビとバナナを植えるそうです。1年間は墓石を立てないのだそうです。
お墓を見たらレスティアがいなくなった現実感が沸いて、歳柄もなく泣きました。
こちらは彼女のお父さんのお墓。はやく移設してあげてね。
こんばんもレスティアのためにみんな集まってくれました。
女性は別の部屋でお祈りします。
別室では近所の女性たちがサテとロントンを準備しています。

1月10日

この日はちょっとのんびり.....の予定でした。
朝、義長姉(レスティアの母)の長男アアンと次男ティントンの一家がジャカルタへ帰るので、記念撮影。

その後、エニー(義姉No.3)とMamaとすこし離れたところにある釣り堀のあるレストランでグラメをたべました。

このあとクルマがオーバーヒートして、[亡くなった姪の父方の祖母]が亡くなったって連絡がきて......。

広い墓所に叔父さんと2人だけだからレスティアがおばあちゃんを呼んだんだ、ってみんな言ってました。

記念撮影。
釣って食べられるレストラン。
Rei-kunは誘ったけどイトコ達と遊ぶほうが面白くて、義父宅を離れず。
釣ってます。
名前と場所メモらず、もし後で伝票出てきたら追記します。
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2011年1月22日 (土)

緊急帰国その1

1月4日に姪が亡くなったという知らせを受けた。23歳だった。

一昨年UGMを卒業したのに、その直後にチクングンヤ熱に感染して半年ほど体調がすぐれず、就職浪人していた。

UGMに在学中は毎週末マグランの義父宅に居たので、Rei-kunもこの姪によくなついていた。
7日目までは葬儀があるとのことなので、家族3人で行くことにした。
1月5日にインターネット上を探しまくり、1月7日発のチケットをとった。
チャイナエアもドメスティックのライオンエアもEチケットを自宅でプリントアウトしていくだけです。

以下の旅程となりました。

01/07
[CI107 NRT 09:40] - [TPE 12:40] (Romo,Mama,Rei)
[CI775 TPE 20:20] - [DPS 01:40] (Romo,Mama,Rei)

01/08
[JT561 DPS 06:10] - [JOG 06:20] (Romo,Mama,Rei)

01/12
[JT553 JOG 09:20] - [CGK 10:20] (Romo)

01/13
[JT016 CGK 18:45] - [DPS 21:35] (Romo)
[JT568 JOG 20:40] - [DPS 22:45] (Mama,Rei)

01/16
[CI776 DPS 02:35] - [TPE 07:45] (Romo,Mama,Rei)
[CI100 TPE 09:25] - [NTR 13:20] (Romo,Mama,Rei)

ワタシだけ所用でジャカルタへ行きますが、MamaとRei-kunはジョグジャとバリだけです。


1月7日

家を6時に出発して成田空港へ。いつのもタニカワパーキングにクルマを置いて、第二ターミナルへ送ってもらいました。

Mamaはもう今年2回目のチャイナエア、台北経由。ほんとは午後発の便でCI775に繋げば、待ち時間は1時間ほどなのですが、
今回は急なことだったので、とれませんでした。今回のパターン、CI107-CI775だと待ち時間が7時間以上になります。
まあ、今日の明日でとれただけマシってことでガマンします。

まだ眠いのに起こされたRei-kunは成田でグズグズ。機材は747-400でしたが座席にテレビがなくてまたグズグズ。CIの機内食はおいしかったです。

NRT-TPEの4時間はそれほどストレスなく、10分遅れで台北桃園空港に到着。さあこれから7時間、どうする?

一応入国カードは書いておいたので、トランジットカウンターのお兄さんに入国した方がいいか訊いたのですが、
無料のトランジットツアーがあるとのことで、無線でまだ参加できるか否か訊いてくれました。
でも10分遅れでアウト!!飛行機が遅れなければ行けたのに~
(資料ではターミナル2の出発が13:30となっていますが、予め予約しておけば多少の遅れなら待ってくれるそうです。[トランジットカウンターのお兄さん談])

しかたないので、入国せずに、ターミナル2からターミナル1まで歩いて探検して、レストラン入ったり、マッサージしてもらったり、
X-BOXのデモで遊んだり、蘭の展示を見たり、子供の遊具があるところでRei-kunを遊ばせたりしていたら、なんとかボーディングタイムまで時間をつぶせました。

台北からデンパサール行きの機材はなんと737-800!国内線並!小さい、狭い、揺れる!
座席が主翼よる前だったのでまだいいほうでしたが、それでも747-400とくらべると、これで5時間はきついですね。

まあ、寝るだけと割り切って。Rei-kunは爆睡。ちなみに機内食はおいしかったです。

成田では無人電車で向こう側のゲートへ.
コレに乗って行きます。
台北桃園空港到着
ターミナル内(トランジットエリア)にはお店が沢山あります。
蘭が展示してありました。
ラウォンみたいなスープのラーメン。おいしかった。
XBOXのデモ。かなり遊んでました。

1月8日

デンパサール到着は午前1時すぎ、この便だけなので入国手続きは並び無しでスムーズ。
$25払うのはワタシだけ。MamaとRei-kunはVISA不要です
国際線ターミナルから国内線ターミナルへ向かうと、国内線ターミナルは鍵が閉まっていて入れません。
しょうがないので、トイレの前の椅子で午前5時ごろまで仮眠です。

午前5時頃ようやくチェックイン。Mamaはマンディリ銀行のカードを持っているのでラウンジが使えるのですが、
この時間だと肝心のラウンジがまだ開いていません。ラウンジが開いたのはボーディング時間の5分前でした。なにも食べられず。

ジョグジャ行きのライオンエアの機材は737-900。台北-デンパサールで乗ったのと同型機です。比較的新しい機体でした。
ちょっと長くて座席ピッチは狭いのでCIより定員は多いと思われます。座席ピッチ狭いですが、前回乗ったエアアジアよりはマシな感じ。

LCCなので飲み物も食べ物も出ません。約1時間でジョグジャに到着しました。

NRT 09:40 - JOG 06:20 (JST=08:20)ですから、結局、成田からジョグジャまで22:40かかりました。

ここからマグランの実家までクルマで約1時間です。

デンパサール空港のドメスティックターミナルは入れず。トイレの前で寝てます。
ラウンジは写真撮っただけでボーディングタイム。
ガルーダの新しいデザインだね。
ようやくおとなしくなったムラピ。
ようやくアディスティプト空港到着。おつかれさまでした。
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2011年1月17日 (月)

昨日帰国しました。

ご遺体はすでに埋葬されていました。1年間は墓石を立てずにおくそうです。
独身の女性に場合はバナナとサトウキビを植えるのだそうです。
お墓を見たときに、ほんとに Restia が行っちゃったんだって、現実感が沸いて悲しかったです。

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7日目まで毎晩お祈りがあります。親族以外にも近所の方や友達がきます。
食事も振る舞います。

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女性は別の部屋でお祈りします。

201101_indo_004

このときお祈りに来て頂いた近所の方(50代)が翌日ぜんそくの発作で亡くなって。

その翌日、 Restia の祖母(私の義姉の亡夫の母)(84)が亡くなって。

今回の訪イ中にお葬式が3回ありました。

Restia の祖母のお葬式ではみんなが「 Restia が呼んだんだ」って行ってました。

初七日を過ぎてから、就職活動をしていた Restia が応募した銀行からの採用通知が来て、
またみんなで泣きました。

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2011年1月 5日 (水)

きのう、姪が亡くなった。23歳だった。
一昨年UGMを出て、就職浪人していた。
年末にも公務員の採用試験を受けたところだった。
彼女のFaceBookには沢山の友達がSelamat jalanって書き込んでいる。

Resti_2


Resti, 初めて会ったときはまだ中学生だったから、
俺の中ではまだまだ子供って気がしてたんだけど.......もう23歳になってたんだね。
そしてこれからもずっと23歳のままなんだね。
Rei-kunが赤ちゃんのときから、よく面倒を見てくれてありがとう。
就職祝いはあげられなかった。
俺たちも明後日Magelangに行くからね。
Selamat jalan

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