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2010年8月 9日 (月)

2010年のインドネシア帰郷記 その4

7/27はいよいよマグランからスバンまでクルマで移動します。 義姉夫、ワタシ、義弟、Mama、Rei-kunの計5人で出かけます。
まずは義弟の運転で早朝の義父宅を出発。ワルンでの朝食まで



5:10義父宅出発。明るくなってきたのはウォノソボを過ぎたあたりから。朝日をうけたスンビン山が美しかったですが、3脚が無かったので撮影不能。
ジャワにも美しい棚田は随所にあります。車窓から撮ってるので画質悪いです。
峠を下って行くと雲海のような現象が。
07:45 Batang-Kendal街道に出たとこのワルンで朝食。
店主は寡黙なおばさんでした。
料理を待つ、Rei-kun、義姉夫、義弟。
Mama & Rei-kun。眠い。
これが朝食。名称は後日調査。「チキンスープぶっかけごはん」みたいなもの。うまかったです。

08:10 ワルンを出発。運転を義姉夫に交代しました。ここまでの距離80km



ジャワ北岸の街道。道はきれいです。
サトウキビ満載で倒れそうなトラック。
ほとんどが片側2車線ある道で走りやすいです。
広大な田園風景も見られます。
立派なモスクもありました。
街を通過する度にベチャやアンコタに妨げられて速度が落ちます。
ベチャと学生。
12:40 チレボン近郊の出来たばかりの高速道路です。交通量は少なく、まだ路肩を自転車で走っちゃってる人がいます。
13:10 高速のサービスエリアににあった「パダン料理のセデルハナ」で昼食。 これ初代キジャンです。オリガミみたいでしょ?80年代のものと思われます。
パダン料理は何も頼まなくともどんどんお皿を持ってきます。食べた皿だけ払います。
Rei-kunも”手でごはん”がすっかり板についてます。

昼食を食べたところで運転はワタシに交代。

義父宅~朝食80km義弟
朝食~昼食187km義姉夫

ここまでの累計 267km



食べたら寝る。義弟の膝の上で。
運転するワタシ。
スバンに近づくと道は片側1車線に。
義弟宅到着です。

16:45 義弟宅到着です。

義父宅~朝食80km義弟
朝食~昼食187km義姉夫
昼食~スバン近郊130kmワタシ
スバン近郊~義弟宅14km義弟

ここまでの累計 411km

義弟はラタン家具の工場のマネージャで工場内の社宅に住んでます。
2部屋で1台で済ませてる!初めて見たACのせこい設置方法。
義弟の長女・次女。長女は秀才で3回飛び級して中1の年令なのに高1。
長女にバイクに乗せてもらって喜ぶRei-kun。「おいおいいくら高1でもトシは中1だろ!バイクのっていいの?」「Tidak apa2。」
Mamaと長女・次女。Mamaは次女のことがかわいくて仕方がないようす。

翌朝は義弟一家と別れてバンドンへ出発します。
スバン~バンドンは65kmの道のりですが、峠道なので1.5~2時間かかる予定です。
義姉夫の運転で08:30に義弟宅を出発しました。



義弟宅の朝は早いです。全員05:30起床。みんな勝手にパンやご飯を食べて出かける準備。
06:30義弟妻がバイク3人のりで小学校と高校へ子供たちを送ります。帰りはアンコタで自力で帰還するそうです。
子供を送り出したあと、07:30義弟は自分のクルマで20km離れた別の工場へ。08:30にワタシたちを見送ったのは義弟妻だけでした。
スバン~バンドン間は温泉地チアトルや美しい茶畑があるのですが、寝てたので写真なし。これは茶畑山遠景。
標高1200mの峠を越えてサテ・クリンチ(ウサギ肉のサテ)で有名なレンバン通過。ここまで来ればまもなくバンドン。

10:00にはバンドン市の領域に入っていましたが、中心部のアジア・アフリカ通りに着いたのは10:40。
5年前に来たときと比べて明らかに渋滞が酷くなっていました。
所用を済ませ、ホテルにチェックインして、懐かしい人と再会します。

バンドンに到着し、所用を済ませ、老舗モールBIP(バンドン・インダ・プラザ)へ。
フードコートで昼食。
これワタシの昼食。名称は後日調査。
ダゴ通りのホリデーイン。
ホリデーインの部屋。日本でいうクイーンサイズが2つあるので、ワタシとMama。義姉夫とRei-kunがそれぞれ1つのベッドで。
ワタシとMamaを結びつけてくれた恩人がホテルの部屋まで来てくれました。いっしょにレストラン「サリ・スンダ」へ行きました。
盲目のマッサージ師であり、マッサージ店経営者で、盲学校の数学教諭のスリーさんです。
スンダ料理をたらふく食べてホテルへ戻ります。



義父宅~朝食80km義弟
朝食~昼食187km義姉夫
昼食~スバン近郊130kmワタシ
スバン近郊~義弟宅14km義弟
義弟宅~バンドン65km義姉夫

ここまでの累計 476km これは東名・名神で東京用賀から大阪吹田へ行くのとほぼ同じ距離です。
でもジャワでは高速道路はまだほんの一部です。

この旅が企画・実行できたのはGARMINのnuvi205とこのサイトのお陰です。
GARMIN用のインドネシアの道路地図が無料で配布されてます。

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コメント

こんにちは。

 帰郷記、楽しく拝見させていただいています。スマラン経由で行かれると思っていたのですガスチャン、オノソボ経由でバタンへ出て行かれたんですね。

 オノソボへはマゲランから毎日のように行きましたのでまだよく記憶しています。

 1980年代当時、このあたりの道路はほとんどアスファルト舗装部分が4メートルしかなく、バスがすれ違うのがやっとでしたのでジャカルタ方面へ行くのにこのルートを通ることは考えたこともありませんでした。

 ちなみにジョグジャ、バウェン(1987年)バウェン、スマラン(1991年)スマラン、テガル(1985年)テガル、チィレボン(1987年)それぞれ6メートルに拡幅されその後順次4車線化されているかと思います。

投稿: hujan6465 | 2010年8月 9日 (月) 12時39分

hujan6465さんコメントありがとうございます。

昔は大変だったんですね。幅員4mでは日本の林道なみですね。
GARMIN nuvi205に従ったらこのルートになりました。道幅は問題なかったです。
スバン~マグラン間を通い慣れた義弟は、いつもはスマラン経由だそうです。
ウォノソボ以降バタンまでは峠越えのワインディング・ロードですが、舗装は良かったです。
距離的にはこちらが近いですが、時間的にはスマラン経由とあまり変わらないようです。
Mama曰く「ウォノソボはインドネシアで一番きれいな街」ホントかな?

ワタシ、アンバラワまでは行ったのですが、未だスマランの街に足を踏み入れておりません。
次回マグランへ行ったら、スマラン&ジュパラへ行ってみたいです。

投稿: romo | 2010年8月 9日 (月) 15時03分

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